ちはるの自由帳

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『天気の子』の感想

どうもこんにちは、ちはるです。

先週7月19日に公開開始された、映画『天気の子』を観てきました。
感じたことなど、つらつらっと書いてみようと思います。

 

『天気の子』を観て(公式サイト程度の情報含む)

2016年に公開*1された映画『君の名は。』で一躍世間の注目を集める存在となった、新海誠監督による待望の最新作『天気の子』

結論から言うと、面白い作品だったな、と。

内容としては前作から引き続き、ボーイミーツガールな物語(新海誠作品はたいがいそうだけど)。

物語の舞台は東京に絞られていて、都心住まいの人間にとっては、所々の描写がより身近に感じられる内容になっているんじゃないかと思います。
東京の街並みや、そこにいる人々の言動、路地裏の雰囲気、世知辛さ(笑)などなど、一つ一つをとっても「あーあるある」感が増しているように思います。

そういった「あるある感」を支えているのが、美しい色彩と徹底した観察、そして繊細さで成される画面作り。
新海監督の視線を通して描かれる世界の美しさは今作でも健在でした。

物語も単純明快で、非常に観やすい作品になっているように思います。

音楽は前作に続きRADWINPSが担当。
個人的には前作ほど印象に残る曲はなかったかなぁ、というところですが、それでも作品を十二分に盛り上げてくれることには変わりなし。

物語の「ココ!」というところで挿入される彼らの曲には涙腺を破壊されかけました。
RADWINPSはあまり詳しくないのだけど、彼らの音作りは凄い物なのだと素直に思えるし、音楽にこだわる新海監督の映像と音楽を融合させる手腕たるや。

すっかり新海誠作品がデート映画と化しているらしい?ですが、『君の名は。』を観て面白いと感じた人には、今作も十分オススメできるんじゃないでしょうか。

 

 

 

ⅩⅩⅩと言い張る物語(本編ネタバレあり)

本作は、上の方でも書いた通りボーイミーツガールな物語。

ボーイミーツガールの全てがそうという訳ではないけれど、たいがいの作品で少年少女たちは大人のいう事や社会の規範などなどといった物に屈服する。
屈服しつつも、枷に繋がれながらも、持てる限りの力でもって枷を歪めてみたり、規範の裏をかいてみたりして折衷案的に自分たちなりのハッピーエンドを掴み取る。
僕の勉強不足かもしれなけれど、多くの物語はそうなっていると思ってます。

けれど、『天気の子』において帆高と陽菜は折衷しない。

もちろん、ストーリーの途中では迷ったり、大人に負けたり、一度は大切な物を諦めたりする。
けれど、最後の最後には世界中で帆高と陽菜だけにとってのみ大切な物を選択する。

ヘーゲル風に言うところの正反合における、二人だけの「正」を押し通して世界をぶっ壊す物語が『天気の子』。

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公式PVより)

これが大概の作品だと、世界のルール(今作では狂った天気を治療するには人柱が必要というルール)に裏技のような物があって、それを発見した主人公が「皆の幸せ」という名前の最大公約数を導き出したりする。

けれどそう言った意味で今回描かれた世界のルールは非常に厳格で、世界は二人に対して「陽菜を生け贄にするか東京を生け贄にするか、二つにひとつ」と言い渡す。

で、東京を水没させる。

到底大丈夫じゃない物語だと思いました。
だって東京が海に沈んでるんだもの。
帆高と陽菜、たった二人の幸せの代償として、東京という街のあり方、もっと言えば世界のあり方を変えてしまうんだもの。

途方もない代償を払うことによってもたらされる、あまりに小さくて極めて利己的な幸福を手に入れるボーイミーツガール。

その点を受け入れられない人にとって今作はあまり面白いと言えなくなるのかもしれないけれど、思春期の少年少女が抱える、説明不能でメチャクチャで非理性的で「馬鹿なこと言ってるんじゃない!」と一喝したくなるような激情を眩しくて掛け替えのない大切な物だと感じられる人には、刺さる作品なのだと思います。

そして作中の大人である須賀さんは、物語が迎えた結末に「世界なんてさ、どうせもともと狂ってんだから」という決着の付け方をする。

恐らくあの東京に暮らす人々が、皆そうだと思う。
皆が「まあ、そう言う物なんだろう」と決着を付けざるを得なかったと思う。
そうでもないとやっていけない。

帆高も須賀さんの言葉を受けて、その言葉を受け入れかける。折衷しかける。
けれど、帆高はそれで良いのか悩む。
何故ならそれは、帆高と陽菜の罪を自然現象に肩代わりして貰う代わりに、彼らが過ごした一夏の出来事の価値を霞ませることになるから。

そう言った煩悶の末に帆高が導き出した答えが「僕たちは、大丈夫だ」という最小公倍数的選択。

「僕たちは、大丈夫だ」とは、世界にもたらされた変化、その罪を自分たちのものだと決めるということ。
世界が狂っているのではなく、自分たちが狂わせたのだと宣言するということ。

そうすることでしか、一夏の思い出も、二人の恋も愛もすべてが無意味になってしまう。
だから全然大丈夫じゃないのに、大丈夫なはずがないのに、大丈夫だと言い張る。
選択をする。

そういう並々ならぬ「青さ」が、ストレートに叩き付けられる。
その衝撃に不快感を覚える人もいれば、文字通り胸を打たれる人もいる。

『天気の子』とは、そう言う物語なのかなぁ、と。

そして僕は後者のうちの一人だったのでした。

 

 

 

おわりに

ということで、新海誠監督最新作『天気の子』の感想なんだか考察なんだか、よく分からない乱文でした。

何だか小難しくことを書いてしまったような気もしますが、そんなこと抜きにして面白い作品なので、ちょっとでも気になる方はぜひぜひ劇場まで足を運んでみてください!

ではでは、ここまで読んで下さりありがとうございましたー!

 

 

 

 

*1:もう3年前という衝撃